銃後の社会史― 一ノ瀬 俊也

勝てば「軍神」、負ければ「罪人」-。称賛が誹謗中傷へと変化した転換期。国を以て保護されていた軍神の妻たちは、終戦と同時に、地を這うような生活を余儀なくされた-。反戦メッセ―ジとしてではなく、戦後の事実として捉えて欲しい事例の数々。
“伝単王子”(?)一ノ瀬 俊也氏が放つ傑作資料。


銃後の社会史―戦死者と遺族 (歴史文化ライブラリー)
吉川弘文館
一ノ瀬 俊也

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報われなかった愛国心 ...
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戦後生まれの私にとって、戦争を知る手がかりの多くは、“資料”によるものである。もちろん「戦争を語る会」のなどで、話を聞くチャンスは多くあるが、そこで語られる戦争の実態には、何かしらベールのようなものがかかっている。言うのもはばかれるような、生々しい体験が壇上で話されることはまずない。

冒頭で紹介した同書も、戦後生まれである著者・一ノ瀬俊也氏が“様々な資料を通じて”当時の戦死者と遺族の実態を解説しているものだ。

資料となったのは、主に全国各地の自治体が発行した遺族による回想録であり、戦中を知る手がかりになればと、身を削る想いで書いたに違いない記憶の数々である。


内容は以下の通りである。
遺族になるまで

 夫・肉親を見送る
  見送りの場面/盛大な見送りの意味/石山村の見送りの変化
  見送りの緩和/見送られる兵士たちの負担
  歌をうたって見送る/戦局悪化後の見送り
  「駅」での別れも続いていた
 面会の諸相
  面会の場があった/面会で前線への出動を知る
  何の知らせもなく前線へ/面会が許されたのに
  ささやかな抵抗/別れを告げに帰る

遺族となって その生活実態

 葬儀から日常へ
  最期の状況記録/肉親の死の受容
 命の値段
  遺族に対する経済的扶助
  生きていかねばならない遺族と「軍事扶助」
  遺族の生活実態/方面委員たちの取り組み
  軍事扶助は完全に「権利」化されたか
  家族・遺族の生活実態/多様な悩み
 指導嘱託と遺族紛争
  お母さんのミシン仕事/遺家族指導嘱託の仕事とは
  遺族指導の実態/恩給をめぐる紛争/多発する紛争
  市町村、県レベルの職業指導/誉の家昭和荘

“名誉の遺族”という名の監視体制

 誉の遺族
  遺族の誓/末端における遺族指導
 慈愛のまなざしによる支配1
  侍徒と戦死者遺族/一九四三年の皇族視察
  働く遺族たちを激励
 慈愛のまなざしによる支配2
  靖国を参拝する遺族/遺児の靖国参拝
  父親と語る遺児たち/戦争展示見学
  遺児付き添い教師のまなざし
  なぜ『遺児と共に』は書かれたか
  国家、そして社会への感謝

敗戦直後~占領期の遺族たち

 敗戦後遺族の生活実態
  大阪市の社会調査/未亡人世帯の生活実態
  婦人合作社/生活保護法
 帰らない遺骨
  戦中の軍は最後の様子を告げた
  遺骨の代わりにきた物/なぜ遺骨が問題であるのか
  「空」の遺骨箱
 わからない最後の状況
  最期のありさまを聞いてまわる
  兵の最期を遺族に報告する上官
  なぜ最期の様子を知りたがったか/粗略な扱い
  結局何もわからない/一枚の広報
  天皇の権威の低下?

遺族と社会、遺族と国家―エピローグ

一ノ瀬俊也氏については、前記事「宣伝謀略ビラで読む、日中・太平洋戦争」のところで紹介しているが、「宣伝謀略ビラで読む~」はまさに、彼の“収集癖”というか“収集欲”が幸いして花開いたという、資料として素晴らしいものだった。そして同書でも、彼が最も得意とする“収集欲”が遺憾なく発揮された内容となっている。

ただ、著者本人が反省として書いてあるように、同書は体験者への聞き取りを一切行わず、資料だけで仕上げたものらしい。収集物だけで、これだけのものが書けるあたりが、彼の真骨頂とも言える点であり、尊敬できる部分でもあるのだが、同時に彼の研究者としての弱点も感じさせられる。

聞き取りを行わなかったことについて、彼はあとがきにこう書いている。
執筆の過程でいわゆる「聴きとり」を行うことはできなかった。主な理由は、まだ学部の学生のころ無謀にも聴きとりのようなものを行おうとして当然ながらうまくいかず、そのことが今でも痛みとして残っているからである。

学生の頃、取材先で何があったのかについては、ここでは述べられていないが、私自身の経験上、何があったのか想像できなくもない。


同書を含め、彼の言動には「やっぱり戦争を知らない世代の青年なんだなー」と思わされる箇所が幾つかある。現在、埼玉大学で助教授をしているという彼に知識が足りないということはあり得ないが、戦争体験者の心に入りこめない何かがあるように、感じられて仕方がない。

それを顕著に感じるのが、前記事にも書いた「フフッと笑うクセであり、以下のような考え方でもある。
多くの遺族が、過去の体験を自らの言葉で書き遺して公刊し、後世に伝えようとした。肉親、夫の存在を記録として遺し、かつ過去に自分たちが受けた粗略な扱いを告発して「二度と戦争を繰り返さない」ためにである。それを内向きの反省に過ぎない、外国に対する戦争責任を忘れている、と批判するのは、間違っていない。

いくら愛国心を「内面化」して国に献身したところで、国があなたたちに誠実にこたえてくれるとは限りませんよ、と言いたいのである。

日本遺族会の運動体としての主張や行動についてはあえてひとまずおくことして、自衛隊が遠いイラクに派遣され、憲法改正の話まで出ている今日、「国防」の重要さを叫ぶのもいいけれど、いざ戦争となったらどうなるのか、遺族一人一人の体験が問い直されなければならないのではないか、と考えたのである。

元々このような考え方の人なのかも知れないが、他の著書にはないぐらいの戦争批判(遺族批判を含む)や、遺族者の行動をあざ笑うかのようなイヤミなキャプションが随所見られたので、これに関しては不快感を抱かずにはいられなかった。

それより何より、昭和史を専門としながら「戦争とは」「軍隊とは」といった本質的なものへの認識が甘い点については、多少首をかしげたくなる部分がある。軍事に関しては素人である私でさえ気付いたのだから、軍経験のある人はもっと敏感にそれを察知するだろう。


まさか、戦争体験者に面と向かって、

あなたって人殺しなんですよね?
あなたって右翼ですよね?
あなたの愛国心って戦争をすることですか?


などと言う人ではないとは思うが、こういった態度が滲み出れば、「この人、何も分かっていないんだな…」と、心を閉ざされても無理はない。

実際に、一ノ瀬氏がこのような理由で、過去に拒否されたかどうかは分からないが、拒否される要素は多分に持ち合わせているような気がする。

戦争を批難し平和を唱えることは、私たちの世代において一種のファッションとなっている。そして若者の多くは、自らの魅力を増すために、あるいは平和を主張する自己に酔うために、受け売りに次ぐ受け売りで手に入れた軽々しい平和論を振りかざすことが多い。それをネタとして日々の糧を得ている芸術家ならまだしも、一評論家や一研究家の立場であたかも正論かのように主張されると、見る人が見れば恥ずべき行為として目に映る。

斬新な切り口で考えを述べる若き歴史研究者だけに、「戦争を知らない世代の研究家」もしくは「戦後教育の影響を受けた研究家」といった、単純な評価を受けるには実に惜しい人物である。思想を変えろとまでは言わないが、今後行うことになるであろう聞き取り作業の際に、その舌で戦争経験者の心を傷つけないで欲しい。

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